THE FOCUS Vol.4 -DJ PrettyDragon- 過去、現在、未来を深掘りするインタビューシリーズ
今年7月からスタートした新企画。DJの過去から現在、未来の展望について深掘りするインタビューシリーズ「THE FOCUS」。
今回は、現在オーストラリアに拠点を置き、World wideに活躍されているDJ PrettyDragonさんにインタビューを行いました。
インタビューはDJ SASA、ライティングはDJ Magollaが担当しました。
DJキャリア初期の苦労した話から海外でのDJ活動、知られざる名前の由来など赤裸々に語って頂いております。
それでは最後まで是非お楽しみください。
目次
■過去編
・DJを始めたきっかけ ~ DJデビュー
ー 自己紹介をお願いします。
DJのPrettyDragonです。今25歳で、シドニーを拠点にDJをやっています。DJを始めたのは2019年で、最初は東京で活動していました。初めはヒップホップを中心に、メインストリームやラウンジミュージックなど、いろんなジャンルに挑戦していました。最初は「なんでも屋さん」みたいな感じでいろいろやっていましたが、2年前くらいからアジア各国でのブッキングが増えて、そこから本格的にインターナショナルなDJとしてやっていこうと決めました。
ー DJを始めたきっかけは何ですか?
きっかけは本当にシンプルで、大学生の時に音楽とフェスが大好きで、「やってみたいな」って思ったんです。最初は趣味でいいかなって感じで始めたんですが、クラブで紹介された先生とあんまり合わなくて、結局独学で練習することにしました。最初は六本木にあるクラブの貸し切りイベントとかでDJをやって、とにかく場数を踏んで学んでいきました。まだ19歳だったんですが、いろんな場所でプレイさせてもらっていました。
ー 名前の由来について教えてください。
この質問、よく聞かれますね(笑)。普段は「ドラゴンの強さと女性の可愛らしさを合わせた感じで、強い女性像を表現したかった」と言っているんですけど、実はちょっと違って、初恋の人の名前が「龍」だったんです。その人が有名になって、「私も追いつけるぐらいビッグになりたい!」って思って、この名前にしました。名前は非公開にしてますが、某ダンスボーカルグループにいる方です(笑)
その人は売れ始めてから連絡取れなくなっちゃったんですけど、なんとこの前、ばったり遭遇して、「活躍してるのずっと見てるよ」みたいなことを言ってくれて、嬉しかったですね。もっと頑張ろうって思いました。
ー 2019年にデビューした頃は、どのようなクラブで活動していましたか?
東京のいろんなクラブでやってましたね。その中でもCÉ LA VI Tokyoではインターナショナルなお客さんが多くて、自分のスタイルを築く良い経験になりました。CÉ LA VI Tokyoでは、最初の頃はシャンパンガールもやりながら、DJプレイさせてもらっていました。当時はまだDJだけでは食べていけなかったので、いろんな仕事を掛け持ちしてました。
・インターナショナルな活動へのシフト
ー インターナショナルな活動にシフトしたきっかけは何ですか?
東京で活動しているうちに、特に集客のプレッシャーがきつくて、音楽に集中できないことが多くなってきたんです。日本のクラブシーンでは、どうしてもDJに集客力が求められることが多くて、それがかなりストレスでした。でも、海外ではDJがアーティストとしてしっかり扱われて、DJプレイの内容だけで評価してもらえるんです。それがすごく良いなと思って、「もっと海外でやっていこう」って気持ちが固まりました。
ー 海外ブッキングを取るために、どのような工夫をしてきましたか?
まず、ブランディングをしっかり考えましたね。SNSでの見せ方にこだわって、カメラマンを雇ってプロに写真や動画を撮ってもらい、それをSNSにアップして、自分の活動をアピールしました。あと、海外でのブッキングを得るためには、自分の経歴を英語でまとめた資料も必要なので、それも自分で作って、営業かけたりしました。自分のスタイルを決めて、それに合ったクラブやイベントを選んで、そこに集中するようにしました。
ー 初の海外ブッキングはどのように得たのですか?
最初の海外ブッキングはシンガポールの大晦日のイベントでした。その時は、Instagramで連絡が来て、そこから話が進んで契約になりました。SNSからの連絡って心配だったりもしたんですけど、内容をしっかり確認したら問題なさそうなので受けました。この時、語学力の重要性に気づき、契約がうまく進むかどうかは、英語力にもかかってるんだなと実感しました。
・下積み時代の苦労
ー キャリアを重ねる中で、特に苦労したことや悩んだことはありますか?
東京でのDJ活動は、本当に大変でした。私はお酒があまり強くないんですが、東京のクラブシーンでは、お客さんとコミュニケーションを取るためにどうしてもお酒を飲まなきゃいけない場面が多くて、それが辛かったです。毎晩飲んで二日酔いになりながらも、しっかりプレイしなきゃいけない。あと、集客のプレッシャーも大きかったですね。ブッキングされた時に「今日はどれくらい呼べる?」って毎回期待されるのがプレッシャーで、正直、きつかったです。自分はアーティストとして評価されたいのに、集客が評価基準になってしまうのが悩みでした。
・マネージャーとのトラブルからセルフプロデュースに至るまで
ー セルフプロデュースに切り替えるまでの経緯について教えてください
今はマネージャーがいなくて、プロデュースも営業も全部自分でやっています。過去にマネージャーとのトラブルがあって、それ以来、「自分でできることは自分でやろう」って思うようになりました。
ブッキングの交渉や契約、SNSでのプロモーション、自分の経歴書の作成なんかも全部自分でやっています。もちろん、マネージャーがいた方が効率的なんでしょうけど、今は自分で全てをコントロールする方が安心できるんです。
ー マネージャーとのトラブルについて、具体的に教えていただけますか?
去年のことなんですが、フィリピンのマニラでのブッキングを自分で取った時に、英語での契約書やビザの手続きがすごく大変だったんですけど、手伝ってくれるという方が現れたんです。最初の頃は、「大手レーベルとも繋がりがあって、仕事バンバン取ってきてあげるよ」って言ってたんですが、結局何もしてくれなくて…。でもしっかり手数料は取られ続けるし、海外遠征の時にフライト予約をミスられて大損でしたり散々でした。そんな経験から、誰も信用できないなって思って、今はセルフプロデュースに切り替えています。
■現代編
・海外での挑戦
ー どのようにして海外のネットワークを広げていますか?
海外での活動では、現地の人たちと積極的にコミュニケーションを取ることが本当に大事です。イベントに出演した時には、できるだけ多くの人と話して、次に繋がるような関係を築くようにしています。
特に、現地のDJやクラブ関係者とは連絡を取り合って、次のブッキングに繋げるようにしてます。また、現地での成功事例をSNSで発信することで、さらに広いネットワークを作ることができるようにしています。自分から営業することも多くて、知り合いの紹介や口コミを活用しながら、次のステップに進む準備をしています。
ー 日本で大活躍している時に、海外活動にシフトしたと思うんですが、そのきっかけは?
周りからは「もったいない」と言われましたが、DJとしてもっと成長したいという気持ちが強くて。日本でも好きなクラブで活動できていましたが、それだけで生活を続けるのは難しいなと思っていたんです。海外で新しい経験を積むことで、自分の価値を高めていきたいと思いました。
・オーストラリアのDJ活動や生活について
ー なぜオーストラリアを選んだのですか?
アジアはすでに色々と経験していたので、次はアメリカかヨーロッパに行きたいと思いました。でもアメリカはビザの取得が難しくて。それに、まだ自分がアメリカで本格的に挑戦するには準備が足りないかなと感じていました。その点、オーストラリアは英語圏だし、ワーキングホリデーのビザも取りやすかったので、まずはそこから始めようと思いました。お金も良いという話も聞いていたので、オーストラリアを選びました。
ー 現地に知り合いはいましたか?
いえ、全然知り合いは居ませんでした。語学学校にも通わず、事前に少しクラブやイベントを調べたくらいで、本当にゼロからのスタートでした。現地で一から友達を作ることを決めて飛び込んだ感じです。
ー オーストラリアでどのようにブッキングを獲得したのですか?
オーストラリアに行く前から、クラブに自分の経歴書や海外経験を書いた資料を送っていました。そしたら、出発前に一件ブッキングが決まったんです。準備自体は3か月前から始めましたが、ワーキングホリデーのビザはすぐに取れました。あとは現地で住む場所を探したり、携帯の解約をしたりといった基本的な準備だけでした。意外と手続きはスムーズでしたね。
ー オーストラリアでの生活はどうでしたか?
最初は不安だったので、女性専用のシェアハウスに住んでいました。オーストラリアの物価はすごく高いので、1人暮らしは難しいかなと感じていたんです。シェアハウスに1か月くらい住んで、その間に仕事が安定してから友達の紹介で別のシェアハウスに引っ越しました。水が1本600円くらい、ラーメンが3000円くらいするので、驚きましたね。シェアハウスでも家賃は一人10万円以上かかるんです。
・オーストラリアのギャラ事情
ー DJのギャラはどうですか?
ギャラは時給制な所が多くて、良いところでは1時間辺りで500ドル位頂けます。ゲストDJとして扱ってくれるクラブもあって、待遇もすごく良いです。楽屋も用意してくれて、お酒も自由に飲める環境です。このブッキングを取るためには、自分から積極的に動いたのが大きかったです。何度も足を運んで、自分をアピールした結果だと思います。
ー 日本とオーストラリアのクラブシーンの違いはありますか?
オーストラリアのお客さんはとても素直で、盛り上がる時はみんなで一緒に楽しんでくれるところが大きな違いです。日本だと、反応がわかりにくい時もありますが、オーストラリアではすぐに反応が返ってくるので、その場で選曲を変えたりして臨機応変に対応しやすいです。
ー 海外に挑戦したい若手DJへ一言お願いします
悩んでる人がいたら絶対に挑戦してほしいです。英語が話せないからといって諦める必要はありません。言葉は現地で覚えればいいですし、DJ自体は言葉がなくてもできるので、とにかく行動してみることが大事だと思います。ワーキングホリデーは30歳までしか使えないので、若いうちに挑戦するべきだと思います。
■未来編
・今後の目標
ー 今後の目標を教えてください
私の目標は、もっとたくさんの国でプレイして、インターナショナルなDJとしての地位を確立することですね。特に、まだ行ったことのないヨーロッパや南米にも進出して、新しいチャレンジを続けていきたいと思っています。また、スタイルをさらに磨いて、幅広い音楽を取り入れたパフォーマンスをしていきたいです。今後は、自分でプロデュースした音楽やイベントも展開して、アーティストとしての幅を広げていけたらいいなと思っています。
オーストラリアでの生活はあと半年ほどしかないので、その間にできるだけ多くの都市を回ってツアーをやり遂げたいと思っています。すでに4つの都市でプレイしていますが、さらに経験を積んで、最終的にはアメリカに挑戦したいです。来年はアメリカに1年住んで、ULTRA MUSIC FESTIVALに出るのが目標です。また、オリジナル楽曲も制作しているので、それも少しずつ発表していきたいですね。